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 偉大な瞬間に、最も望まれた当事者の姿はありませんでした。
 以前から、世界一悠長な実験として取り上げていた、悩ましき粘弾性樹脂ピッチの滴下実験。果たしてピッチは固体なのか、それとも流体なのか?
 それを知るために、世紀を二度またぎそうな勢いで続けられていた科学界のプロジェクトXでしたが、ようやく決定的瞬間が訪れました。
 しかし科学に終わりはありません。悩ましすぎる結果に、やはりピッチドロップは終わりなきゴールを目指すのです。



 落ち....たけど....落ちてない....。

 ご承知のとおり、滴下とは雫になって落ちること。
 このピッチドロップ実験も当然ながら、落ちることを一度としてカウントすることになっているはずなのですが、どうやら今のところ、滴下というか「伸びて落ちた」という状態になっている様子。

 さて、ここでもう一度「ピッチドロップ」についておさらいしてみましょう。

 クイーンズランド大学の初代物理学教授であった故トーマス・パーネルが、ピッチという粘弾性樹脂が固体であるのか流体であるのかを確認するために、1927年に開始したのが「ピッチドロップ実験」と呼ばれる研究。
 詳細については以前の記事にゆずるとして、一言で言えば「酒の勢いで放言したものの引くに引けなくなった」ような実験とでも申しましょうか。

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(初代研究者トーマス・パーネル教授の在りし日)

 パーネルが学生に語った「一見すると固体に見える物質も、実はきわめて粘度の高い液体なのだ」という一言を、実験と観測により証明するために行われたのが、そもそもの始まり。
 たとえば、ガラスは液体という仮説がありましたけれども、現在は「昇温によりガラス転移現象を示す非晶質固体」というところに落ち着いている様子だったりします。

 しかしピッチの場合は、常温でも(極めて微速ながらも)流体としての挙動を示すので、パーネル教授としても引くに引けません。
 横着な管理人としては「もー粘弾性ということでいーじゃん」とか思ってしまいますが、科学的な結論には地道な努力が必要なのだと思います。

 というわけで、1927年の実験開始以来、11年後の1938年の初めての滴下をパーネル教授は見逃し、さらに9年後の1947年の2度目の滴下を見逃すなど、次々と決定的瞬間を見逃すコント的な事態となりました。
 そして1961年、二代目となる観測者ジョン・メインストーン教授に研究は受け継がれます。

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(二代目研究者ジョン・メインストーン教授)

 しかしメインストーン教授も、4滴目、5滴目、6滴目、7滴目、8滴目を次々と見逃し、2005年のイグ・ノーベル賞受賞後も研究は継続されていました。

 そして、まもなく決定的瞬間か?として昨年の報道が流れたわけですが......それから程なくして、運命のいたずらに翻弄される本家クイーンズランド大学での研究を尻目に、後塵を拝したアイルランドのトリニティ・カレッジが観測を成功させるという悲劇(?)が起こります。



 まさに決定的瞬間といえる映像ですが、こちらでの実験は「滴下」していますよね。

 トリニティ・カレッジでは1944年10月に独自の観測実験を開始しており、動画の説明によると、滴下が行われたのは2013年の7月11日。研究者3人による計算が行われ、その結果、ピッチの流動性は 2x107 Pa s と算出されました。この値によると、ピッチの流動性は蜂蜜の約200万倍なのだそうです。
 なお、研究を主導するシェーン・バージン教授は、同年5月にウェブカメラによる放送を開始したばかりだったとのことです。

 1944年といえば、初代パーネル教授が2度目の滴下を見逃す、3年前。遅れて始められたとはいえ、決定的瞬間の観測を行うには、やはり70年という年月を必要としたわけです。

 そして、トリニティ・カレッジに遅れること9ヶ月。ついに、本家クイーンズランド大学にも歴史的な瞬間が訪れます(最初の動画に戻る)。

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 しかしその瞬間は、滴下ではなく「9滴目と8滴目との衝突」として発表されました。理由は前段にゆずります。

 しかも残念なことに、そこにメインストーン教授の姿はありません。
 今度はウッカリ見逃したというわけではなく、すでに故人となっていたメインストーン教授には、積年の研究についに訪れた変化を見届けるすべがありませんでした。享年78歳。死因は脳卒中であったということです。

 初代トーマス・パーネル教授と同様に、研究の成果を見届けることができずに世を去ったメインストーン教授。ご冥福をお祈りいたします。

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(在りし日のジョン・メインストーン教授)

 なお、クイーンズランド大学によるピッチドロップ実験は継続中であり、滴下が実現されるのは今年中なのではないかと推測されています。
 実験経過は24時間ストリーミング配信(※)されていますので、暇な方知的好奇心のある方は要チェックです。

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[The Pitch Drop Experiment | The School of Mathematics and Physics]

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フランセス アッシュクロフト Frances Ashcroft

河出書房新社 2008-05-02

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