20世紀初頭に、ルイジアナ州ニューオーリンズに存在した紅燈街――いわゆる赤線地帯であった“ストーリーヴィル”を記録した作品で知られる写真家、E.J.べロック(John Ernest Joseph Bellocq)は、1873年の出生。
フランス系クオーターであったべロックは裕福な家庭に育ち、写真家としての道を歩むことになりますが、地元企業のための機械関係の記録写真を撮影することがもっぱらの仕事であったようです。
しかしその傍らで、歓楽街の娼婦たちを秘かに撮り続けたプライベートな写真集「The Storyville Photographs」で後世に名を残すこととなります。
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ルイ・マル監督の映画「プリティ・ベビー」など、多くの小説、詩や映画にインスピレーションを与えてきた彼の写真ですが、もともと公表することを意図して撮影されたものではなく、私的な記録集であったようです。
また、今に残された写真も焼却を免れ、偶然人の手に渡っていた一部の作品にとどまるのだとか。
しかし、100年前の娼婦の姿を赤裸々に活写した彼の写真は、1951年、ジャズを楽しむために偶然ニューオーリンズを訪れていた写真家リー・フリードランダーによって見出され、世に出ることとなります。
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そんなべロックの写真ですが、ごく個人的な作品であったことからも、娼婦のプライバシーを守るために顔を塗りつぶされた写真が散見します。
それでも、フリードランダーとの出会いと、幾つかの偶然によって“死”を免れたべロックの写真(あるいは娼婦たち)は、1970年代にニューヨーク近代美術館で展示されるや、大きな反響を呼ぶこととなりました。
(E.J.べロックの肖像)
これらの経緯は、必ずしもべロックの遺志に沿う形ではなかったのかもしれません。しかし彼の作品が埋もれたままでは、生まれることのなかった重要な表現世界があったことだけは確かなことといえそうです。
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(Via.bigpicture.ru / Exquisite Corpse)
ルイ・マル監督の映画「プリティ・ベビー」など、多くの小説、詩や映画にインスピレーションを与えてきた彼の写真ですが、もともと公表することを意図して撮影されたものではなく、私的な記録集であったようです。
また、今に残された写真も焼却を免れ、偶然人の手に渡っていた一部の作品にとどまるのだとか。
しかし、100年前の娼婦の姿を赤裸々に活写した彼の写真は、1951年、ジャズを楽しむために偶然ニューオーリンズを訪れていた写真家リー・フリードランダーによって見出され、世に出ることとなります。
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そんなべロックの写真ですが、ごく個人的な作品であったことからも、娼婦のプライバシーを守るために顔を塗りつぶされた写真が散見します。
それでも、フリードランダーとの出会いと、幾つかの偶然によって“死”を免れたべロックの写真(あるいは娼婦たち)は、1970年代にニューヨーク近代美術館で展示されるや、大きな反響を呼ぶこととなりました。
(E.J.べロックの肖像)
これらの経緯は、必ずしもべロックの遺志に沿う形ではなかったのかもしれません。しかし彼の作品が埋もれたままでは、生まれることのなかった重要な表現世界があったことだけは確かなことといえそうです。
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(Via.bigpicture.ru / Exquisite Corpse)
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