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 インド北東部、ヒマラヤ南麓のネパールとブータンの境に位置するシッキム州には、かつてシッキム王国と呼ばれた小さな王国がありました。
 ご紹介する写真は、アリス・S・ケンダル博士が1965年から1971年にかけてシッキム王国を訪れた際に撮影された、約15,000枚という膨大なコレクションの中のほんの一部です。

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 1642年にチベット仏教ゲルク派によるガンデンポタン(ダライ・ラマ政権)によりチベットが統一されたことで、それに異を唱えたニンマ派の高僧らと信奉者たちがシッキムに亡命したのがシッキム王国のことの起こり。
 シッキムはそもそも先住民族のレプチャ人が居住していた土地でしたが、そこへ亡命チベット人らが初代国王プンツォク・ナムゲルを擁立することで建国されたのが、「シッキム王国」と呼ばれる王国でした。

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 しかしチベット人による亡命政府であったことから、チベットはシッキム王国を属国としてとらえており、またチベットを属国としていた当時の清朝もシッキムを属国とみなすという複雑な状況を呼んでいました。
 建国当初から複雑な宗教的背景、また地政的背景を持っていたシッキム王国ですが、1861年にはインドを植民地とするイギリスがチベットを撃退。
 一時的にシッキムはイギリスの保護国となりましたが、1947年のインド連邦の独立とともに、シッキムはインドの保護下に置かれることとなります。

 その後、1950年に結ばれたインド・シッキム条約により王国は民主化を進めることを余儀なくされますが、この頃には労働力として流入していたネパール系民族が75%を越えるという人口の逆転現象が起きており、シッキム政府の弱体化は避けられない状況となっていました。

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 写真の女性は、第12代国王パルデン・トンドゥプ・ナムギャルが王妃として迎えた22歳年下のアメリカ人女性ホープ・クック
 ダージリンのホテルのバーで知り合ったという。

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 左から2番目の少年は、ペルテン王子。
 下画像は王宮でのホープ王妃とホープ王女。

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 首都ガントクの市場。下は首都の様子。

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 シッキム・ヒマラヤの中心をなす主峰、カンチェンジュンガ。エベレスト(チョモランマ)、K2に次いで世界第3位の標高8,586mを誇る。

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 そして1975年4月、国王の退位を求めるデモ隊を終息させるために、インド軍がシッキムに侵攻。
 インド・シッキム条約により、防衛と外交、そして通信の全てをインドに委ねられていたシッキム王国に反抗する力はなく、ついに王政の廃止とインドへの完全な編入がシッキムの国会で承認されることとなります。
 1975年にはインド22番目の州として編入されることが決定し、ここにシッキム王国は滅亡の時を迎えたそうです。

(Via.DNA / Sikkim Photos (Kandell Collection))

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