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 シェイクスピアの史劇に描かれたことで残酷な暴君のイメージが定着している、中世イングランド王「リチャード3世」の遺骨が発見されたことで、それまでのイメージにも変化が訪れているようです。

 リチャード3世の遺骨が発見されたのはイングランド、レスターシャー州にある駐車場の地下。昨年の8月に発見されたもので、その後、レスター大学の研究チームにより詳細なDNA判定が行われた結果、遺骨がリチャード3世のものだと断定されたことが発表されました。

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 遺骨の発掘されたレスター市中央部の駐車場にはかつて修道院があったことが判明しており、発見が行われた場所は記録された埋葬場所と一致しているとのこと(ウィキペディア)。

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(DNAサンプルを採取した箇所を示す写真)

 DNA鑑定はリチャード3世の子孫のDNAと遺骨のDNAサンプルとを照合することで行われており、レスター大学の遺伝学者トゥーリ・キング氏が検証を行っています。
 鑑定のもととなったイングランド王の子孫は、系譜学者のケビン・シューラー氏が文献を調べることで探し当てたもの。1人はロンドン在住の家具職人マイケル・イブセン氏、一方の人物は匿名を希望しているとのこと。

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 1486年のボスワースの戦いで死亡したリチャード3世ですが、死亡時は32歳という若さでした。
 レスター大学の骨学者ジョー・アップルビー氏は、遺骨の頭部から最後の瞬間に受けたとみられる2ヶ所の傷跡を指摘し、1つは背後から襲われたハルバード(斧槍)の打撃痕であるという見解を示しています。
 また、死後に受けた傷も複数が見つかっており、文献には、勝利した敵軍は遺体を丸裸にし、馬から投げ捨てたと記されているそうです。

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 発掘された遺骨の体格は華奢で、曲がった脊椎からは、王が思春期特発性側弯症(AIS)を患っていたことも明らかになっています。
 中世イギリスの歴史家であったジョン・ラウスは、15世紀後半に残した文献に「(リチャード3世は)体が細く力が弱かった」と書き残していますが、遺骨に示された科学的根拠からも、このイメージが記録に符合することがあらためて証明された結果となっています。

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 なお、同グループは頭部の遺骨をCTスキャンすることで、リチャード3世の顔の復元も行っています。
 
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(復元されたイングランド王・リチャード3世の顔)

 32歳で死亡した王の顔は、シェークスピア劇で描かれる残酷な人物とは異なり、「思いやりと気品のあふれた顔のように見える」と同グループは感想を述べています。
 遺骨はレスター大聖堂にあらためて埋葬される予定となっていますが、復元された顔は遺骨発見の場所近くにオープン予定のビジターセンターに展示されることになるようです。



(Via.ナショナルジオグラフィック / BBC News)

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