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 かつて香港・九龍地区に存在した九龍城砦(九龍寨城)は、古くは清国の支配がおよぶ王朝の城塞として存在していました。
 歴史のうねりの中で、やがて巨大なスラム街と化していく九龍城砦は、今や記憶の片隅に“混沌の城”として遺されているに過ぎません。

 ご紹介する画像は、海外サイトの伝える貴重な九龍城の往年の姿。過去に記事にしていたことを思い出して、ちょっと懐かしくなってしまいました。

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 1842年、南京条約によって清国の5港を割譲せしめたイギリスは、さらにアロー戦争で締結された北京条約により、九龍半島を割譲。まるでエアスポットのように存在した九龍寨城でしたが、1898年には英清両国で取り決めた租借条約により、租借地から除外されることとなります。

 日本では九龍城(きゅうりゅうじょう/クーロンじょう)とも呼ばれたスラム街は、かつての清朝の城塞跡に自然発生的に膨張した、一種の治外法権的存在でした。

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(Via.Amusing Planet)

 香港で一般的に「九龍城砦」と呼ばれ、また現在もそのように知られているスラム街は、1994年に発見された扁額から、正式には「九龍寨城(きゅうりゅうさいじょう)」と呼ばれるものであったことが判明しています。

 複雑化する支配の狭間で「飛び地」と化した城塞は、やがて法の支配の及ばない堅牢なスラム街として横溢を極めることとなります。
 約190万人/km2 という異常な人口密度により「東洋のカスバ」「東洋の魔窟」と呼ばれ、アジアの混沌の象徴的存在として認知されていく九龍城砦の姿は、まさに“魔界都市”そのものですね。

 動画:九龍城シティドキュメンタリー(1/4)


 続きの動画は、関連エントリー
東洋の魔窟『九龍城』の貴重なドキュメンタリー からどうぞ。

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吉田 一郎 尾原 美保 グレッグ・ジラード

イースト・プレス 2004-02-21
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