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 チャールズ・マンソンといえば、1960年代から70年代の初めにかけて、カリフォルニアで「マンソン・ファミリー」と呼ばれる擬似共同体を率いたことで知られるカルト指導者。
 映画監督のロマン・ポランスキー氏の妻(当時)であった女優のシャロンテート殺害事件を始め複数の無差別殺人で共謀罪および殺人罪に問われ、終身刑の判決を受けており、現在にいたるまで収監されています。

 シリアルキラー77歳の肖像は、この水曜日に、カリフォルニアの刑務所当局による第十二仮釈放審理のボードに乗せるためにリリースされました。

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 上画像は公開された写真。額にあるハーケンクロイツのタトゥーは色褪せており、すっかり白髪に。

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(別のショット)

Sharon Tate

 1969年、28歳の若さで殺害された女優のシャロン・テート
 ロマン・ポランスキー監督の妻であり妊娠8か月であった彼女は、マンソンの信奉者スーザン・アトキンスら5人組によって、ロサンゼルスの自宅にいた他の4名とともに殺害。全身16か所をめった刺しにされていました。

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 事件の10年後、母親のドリス・テート氏は殺害犯がカルト的信奉を得ている上に仮釈放の可能性が生じたことを嫌悪し、殺害犯の釈放反対運動に参加しています。

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(1971年頃のマンソンの写真)

 マンソンの母親はキャスリーン・マドックスという16歳の家出少女。母親が正確な出生日を覚えていなかったため1934年11月11日か12日に生まれたというマンソンは、9歳で初めて少年院に入れられ、18歳で警察のブラックリストに名を列ねます。21歳で結婚したが、すぐに別れてポン引きに。
 自動車泥棒に小切手偽造、クレジットカードの不正使用、その他諸々の罪で何度も何度も服役し、67年に釈放された時には既に人生の半分以上を塀の中で過ごしていたといいます。

MANSONFAMILY

 出所したマンソンは家出少女らを集めて「ファミリー」としての集団生活を開始。当時のヒッピー・ムーヴとも重なり、LSDを用いて洗脳し、男を誘惑させることでも信者に引き込みます。また、マンソンは聖書を独自に解釈することで、女は生来の罪人であると信じ込んでいました。

 彼もまた、社会と隔絶された集団生活の中で、麻原彰晃やジム・ジョーンズのように妄想を肥大させていくこととなります。

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(ジム・ジョーンズ:914人に及ぶ集団自殺を起こした人民寺院の教祖)

 そして、マンソンは1968年11月に発売されたビートルズ10作目のオリジナル・アルバム『ザ・ビートルズ』、通称『ホワイト・アルバム』の中に不吉な予言を読み取ってしまいます。特にポール・マッカートニー作曲の『ヘルター・スケルター』に注目したマンソンは、その歌詞の中にハルマゲドンの予言を読み取るに至り、数件の残忍な殺人事件を計画し、ファミリーのメンバーに実行を命令することとなります。
 事実、逮捕されたマンソンは「ビートルズのヘルター・スケルターを聴いて殺せという啓示が閃いた」と供述しているようです。

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 上画像は2009年に撮影されたマンソンの写真。右の写真は1970年にロサンゼルスの法廷に向かう途中で撮影されたもの。

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 仮釈放のためのボードには2007年にもマンソンが記載されましたが、その時には不当な危険をもたらす可能性があるとして入札が拒否されました。マンソンはまた、出所に有利となる心理的評価にも参加を拒否しており、そのこともマイナス評価につながったとしています。

(Via.Mail Online / 参考:殺人博物館 - チャールズ・マンソン)

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