人間動物園とは19世紀から20世紀にかけて行われた、社会進化論(社会ダーウィニズム)や人種差別、進化主義、植民地主義に根ざした、野蛮・未開とされた人類の文化、生態における展示のこと。
以前に記事にした エルンスト・ヘッケル もその表現を優生学的に利用された生物学者の一人でしたが、ダーウィンの進化論から派生、あるいは曲解された社会進化論は、西欧近代主義を進化の頂点と見なすことで、やがて単一的発展史観(進化主義)として社会に受け入れられるようになります。
また人間動物園は植民地の文化と西欧文化との差異を観察することで、帝国主義や植民地経営を正当化する装置としても機能していたようです。
上画像は、1928年にドイツのシュトゥットガルトで行われた人間動物園のポスター。
人間動物園はパビリオンの名称として「黒人村」とされる例もあるようですが、必ずしもアフリカ系の黒人ばかりが対象となるわけではありません。
実際の展示では諸民族の伝統的な居住空間を会場に再現し、民芸品の作成や伝統芸能を見せる方法がとられたようです。また入場制限はあるものの、必ずしも檻によって隔離されているわけでもなく、場合によっては通訳を介して会話が行われることもあったそうです。
03.セントルイスで行われた、コンゴのピグミー族の展示
04.ピグミーのダンス
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06.展示されるエスキモーの少女ナンシー
07.同じく“エスキモー村”での写真(1893年)
なお、エスキモーは現在でも連邦政府によるパターナリスティックな保護・管理政策の下に置かれており、文化的相対主義の見地からは不適当との評価があるようです(参考)。
08.フランスのショーでの "黒人村"
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12.オーストラリアのアボリジニ(1884)
13.フィジーの人食い人種と書かれている
14.ソマリアの村を再現して展示
15.アフリカの移民は、しばしば猿と一緒に撮影されました
16.インディアン村の展示
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18.観察する者、される者
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20.ラブラドール・イヌイットの家族
21.展覧会のポスター
22.ニューヨークでディスプレイされるインディアン(1939)
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彼ら5人のインディアンは1881年に誘拐され、動物園での表示用にヨーロッパに出荷されました。5人とも年内に死亡したそうです。
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(Via.НОВОСТИ В ФОТОГРАФИЯХ / 人間動物園)
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