hissatsu

 酔っぱらっていて、下書きのつもりが記事を公開してしまっていたことに管理人はアボ〜〜ン。書きかけそのまんまやないか〜い!
 寝起きで小便ちびるかと思いましたよ、お恥ずかしい。

 間違って読んでしまった不運なアナタには改めてお読みいただければ幸いです。通りすがりのアナタ様にはご愁傷様。
 管理人の言いたかったことの一部だけしか伝わりませんでした悲しいかな。

 ということで以下、いちおう書き足した本文。

 今回は無難な評価でお茶を濁したかったんですがね、ほんとのところ。
 え〜とですね、お酒もまわっていることだし分かりやすい書き方をしますけどね、あれだけ視聴者を期待させながら、源太の危機をあのような茶番劇で終わらせるという展開は最低だということです。少なくとも、そこにシチュエーションとしての整合性があればいいですよ。
 だけどね、はっきりいって作劇のセオリーにすら適合していない。
 分かりやすく具体例で書きましょうか。

 大河原に追われる源太を逃がすには、涼次の手裏剣(箸)が出足をくじくだけで充分。

 ということです。

 時代劇っていうのはですね、いってみればウェブ作成におけるテンプレートみたいなもので、基本となる形式というものがあるのですよ。これが俺が口を酸っぱくして以前から言っている所作や作法であったり、あるいは作劇であったりする。
 だけれどもね、今回の冒頭の展開は、テンプレ以前にシチュエーションとしておかしい。普通に考えてみてくださいよ。

1.大河原→源太の殺害現場を目撃する。
2.源太→逃げる。
3.源太→追いつかれる(※なぜか足を引きずっている)。
4.大河原→提灯の灯を涼次の箸で消される。
5.主水→わざとらしく一人芝居で登場。
6.大河原→現われたのが主水であることに気付く。
7.主水→源太を顔見知りの人物として名指しする(※重要)。
8.大河原→主水の猿芝居を丸呑みする。

 もうね、ダメダメですわ。講談じゃないんだから。
 要するに、

 夜目の遠目で主水には源太が視認できたってシチュエーションでしょ?
 だったら、涼次が提灯の灯を消す描写は必要ないよね?
 で、源太が足を負傷した描写はどこにあったの?
 そもそも、提灯を第三者に手裏剣で消されるという明らかに不自然な状況の中、なおさら主水の芝居じゃ火消しはできないよね?


 せめて、1、2、3、5の順か、1、2、4の順で源太が逃げおおすか、そのどちらかで充分。無傷の源太が足を引きずるという意味不明な描写はもとより、余計なシチュエーションが多すぎる。

 大河原が源太を認識できていたということはこの時点でわかるわけだし、とすると源太を追い懸けていた大河原の立場はどこにあるの、って話ですよ。

 ぶっちゃけておきますが、俺だってこんな細かいことは書きたくはありません。面倒だし、当たり前のことを説明するくらい不毛な作業は無いですよ。

 で、ここで起こる反論というのは概ね想定できる。

 大河原が源太を見たとか見ていないということは問題じゃなく、源太は「容疑者」で同心の主水の知り合いだから追及しなかっただけだ、ということ。現に、その後の源太の容疑は晴れている部分を描写しているじゃないか、というところ。

 だけどね、それは「時代劇」のセオリーじゃないんですよ。
 逆に言うなら、上のシチュエーションをそのまま2時間ドラマのミステリーに当て嵌めたって、源太の身柄を拘束していないのは変だ、ということになるでしょ。
 だって殺人の容疑者ですよ?見回りの刑事が現場を目撃してるんですよ?

 俺がここで重要視しているのは、あくまでも「時代劇」のセオリーであることだけはわかってください。
 で、そのセオリーでいえば、繰り返すけれども、

 涼次の手裏剣(箸)が大河原の出足をくじくだけで充分

 先に言ったように、「ワンカットで終わる」シチュエーションを、次につなげるための伏線ならばまだしも、そうもしたくないからという消極的な意図が見えすぎてしまっている。これをこじつけるために、ああいうデタラメな茶番をでっち上げるのがダメだ、って言ってるんです。
 これは時代劇のテンプレ以前に、ドラマとして駄目。

 たぶん、アメリカのドラマの表面的な部分とかを形だけ真似して、シーズンシーズンで次に引っ張るテンプレを模倣したんだと思う。だけどね、それって時代劇じゃないんですよ。
 そこの区別だけは、絶対につけなきゃだめ。
 後半のお富と源太の相殺に到るシーンの「くどさ」もひどかった。いやもうほんと、あのシーンのダラダラ感はしらけてしまう。あんなもん、尺を半分に縮めるくらいがちょうどいいですわ。

 それにもまして、これも重要な部分だけども、

 なんで前回の危機感を今回につなげない!

 これは理解してもらえるんじゃないかと思う。
 前回のラストで視聴者の期待を高めに高め、それを危機感のない茶番劇でお茶を濁しておいて、それで源太ラヴリーのお話にしようったって、そうは問屋が卸しませんよ。

 あー、言いたいことの募る番組だ。浅野ゆう子なら充分に女仕事人として想定できる女優なんだから、前回の危機感を受け継ぎながら次回以降へつなげる展開だってさほど難しくはないでしょうが。

 で、ベタは承知のうえで時代劇(必殺的な)のテンプレとしてベターな展開というのを、一例としてさっくりと書いておきます。

 1.源太、涼次の手裏剣で逃げおおす。
 2.手配書が回る。
 3.作太郎、途方に暮れる。
 4.源太、○○の女仕事人(浅野)と出会う。
 5.奉行所の包囲網迫る。
 6.仕事人(小五郎ら)の包囲網も迫る。
 7.浅野、超展開(笑)
 8.(もろもろあって)源太、死す。

 ここをどう脚色するか、っていうのが基本のセオリーなんですよ。

 前の山内久司pの迷言に、「必殺は時代劇の名を借りた現代劇」というのがあるんですが、これは時代劇のセオリーが浸透していた時代だからこそ言えた言葉で、それを現代の仕事人にそのままスライドできると考えるのは大きな間違いです。
 これを今の仕事人2009につないでると現プロデューサーが考えているのであれば、申し訳ないが、一時代劇(必殺)ファンとして、

 消えてもらって結構

 というしかない。そんな奴は時代劇なんてやめて、とっとと深夜枠のドラマでもやっとけばいい。

 セオリーをつなげない奴に伝統をつないでいけるわけがないんですよ。そこを皮膚感覚として理解できないモノに、時代劇に関わってもらいたくない。

 俺は必殺好きである以前に時代劇好きですから、はっきりいって山内久司pの考え方にシンパシーを抱いているわけじゃない。だから、俺がときどき筆を滑らせるところというのも、いわゆる「必殺ファン」とは食い違う部分も少なからずあるだろうと自覚しています。

 だけどね、一言で言って今回の話は くど過ぎる。すべてが。

 あー、そうそう。

 前回の「鬼の末路」というタイトル、今回につけていたほうが良かったですね。火葬の場面で源太が目を開いたのも、蛇足というか無意味ですけど、このタイトルをつけてさえいれば誤魔化せましたもんね。
 今回のタイトルって、ひねりがないというか、単なる“釣り”でしょ?

■前記事
必殺仕事人2009第十話「鬼の末路」

■参考までに管理人の見解の一部
必殺!前期後期を考える
必殺類考その1
必殺類考その2

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