これは驚いた。
 明治後半から大正にかけて、関西は南地の芸者屋「富田屋(とんだや)」で遊芸を振るい、名妓の名を欲しいままにした八千代姉さんの映像であるそうです。
 どこかの書物でちらっと読んだような微かな記憶はあるものの、正直よくわからなくて、ちょこっと調べてみるとこれは凄い。

 なんでも、明治四十年(1907年)刊行の「名妓評判記」に東京赤坂の万竜、京都祇園の千賀勇と並んで、日本三名妓と記されたほど評判の高かった芸妓であったとか。また、かの岡本太郎の父である漫画家・岡本一平がスケッチを何度となく頼み込み、五時間も待たされた挙句に恨み言一つ言わなかったという逸話も。


The Geisha 100 years ago "YACHIYO" 1904

 動画には明治37(1904)年ころ撮影、とありますから日露戦争開戦の年ですか。小泉八雲の没した年でもありますね。ちなみに八千代18歳の頃。

「二重にくびれゐる二重瞼(まぶた)は微紅を帯び、あたかも春花の柔らかく、また温かく、睫毛(まつげ)にそふて香りかかり、乱れかかり…描く能(あた)はず」

 とは、一平が八千代を見た時の印象を述べた一文。確かに、震えるほどに美しい。

 それほど有名な芸妓の映像である(らしい)ということは言うに及ばず、江戸期の正当な地続きである明治時代の映像というだけで感動ものです。

■参考リンク
明治の美人絵葉書より富田屋八千代
明治の美人絵葉書TOP

中原淳一きもの読本
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