十三人の刺客

 『十三人の刺客』(じゅうさんにんのしかく)は東映京都撮影所製作、工藤栄一監督、片岡千恵蔵主演により、昭和38年(1963年)12月7日に封切られた日本映画の時代劇である。実録タッチの作風による集団抗争時代劇として有名。約30分に及ぶクライマックスの13人対53騎の殺陣シーンは、時代劇映画史上最長とされる。
 *フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、冒頭紹介文を引用。

 さて、書きたい書きたいと思っていながら、なんとなく書かないままになっていた、故・工藤栄一監督作品 「十三人の刺客」 のご紹介。

 あらすじとしては、

「時に弘化元年(1844年)、明石藩江戸家老・間宮図書(演・高松錦之助)の抗議自殺をきっかけとして、明石藩主・松平斉韶(なりつぐ/演・菅貫太郎)の暴政が幕閣の知るところとなるが、将軍徳川家慶の弟である斉韶を幕府は容易に処罰できかねていた。残忍非情、その上、傲慢で好色という潔いばかりにドキュンな斉韶の暴君ぶりに耐えかねて、間宮も死を賭して訴えたにもかかわらずである。
 しかし事情を知らない将軍が、あろうことか斉韶を老中に据えようと考えていることを知るにおよび、筆頭老中・土井大炊頭(おおいのかみ/演・丹波哲郎)は暴君斉韶の排除を決意する。
 土井の命を受けた直参旗本・島田新左衛門(演・片岡千恵蔵)は、莫逆の友・倉永左平太(演・嵐寛寿郎)と子飼いの剣士、平山九十郎(演・西村晃)に依頼して戦力を集めて回る。やがて暗殺部隊の総数は十三人となって、宿場町一帯をトラップとした大総力戦が始まるのであった……」

 といった感じ。

 残りのレヴューは、続きからどうぞ。

 まずこの作品が工藤栄一監督のベストワークであろうことは論を待たないとして、この作品が定着させてしまった“集団抗争時代劇”という言葉について最初に述べておきたい。

 というのも、俺はこの“集団抗争時代劇”という言葉が好きではないのですよね。
 抗争という響きが、俺のあまり好きではない「ヤクザ映画」を匂わせるというのが一番の理由ですが、作品そのものの広がりを、却って小さいスケールに感じさせるというのもそう。
 例えば、言論による対立は“論争”であろうし、イデオロギーの対立は“闘争”であろうし、政治による対立は“政争”であろうし、国家間の武力衝突は“戦争”であろうし。どうにも、抗争という響きは縄張り争いの市井のドンパチという印象しか感じられない。もっとも、戦争も縄張り争いのドンパチ、その延長線上にあることは間違いないんですが、少なくとも、制度によって定められた境界(国・国家)を保持するという武士の世界で“抗争”などと言ってしまえば、それは境界と境界の対立ではなく、同じ境界内での、みみっちい罵り合いみたいな印象をどうしても受けてしまう。
 チャンバラ好きの感性からいえば、ごく普通に 「一大活劇」 でいいのではないかと思う。

 ちなみに、後年になって故・市川崑監督作品「四十七人の刺客」が製作されていますが、この集団抗争時代劇の正当継承といえる作品。かの忠臣蔵を権力“闘争”の刺客としてアレンジした作品ですが、この原作を書いた池宮彰一郎氏は、十三人の刺客の脚本家・池上金男氏と同一人物です。
 その四十七人の刺客、主役の大石内蔵助を演じていたのが、ものの見事にヤクザ映画で一時代を築いた高倉健さんでしたね。

 で、十三人の刺客という作品に戻って考えれば、必ずしも“集団抗争”という言葉が不適ではないと思わせる部分もある(←こらこら・笑)。
 というのも、主人公である島田新左衛門に下された命(めい)というのは、暴君斉韶の排除という指令であって、本来の意味で言うなら人知れず「暗殺しろ」という指示であったはずなのですよね。
 その点、上記の四十七人の刺客でいえば、「本来の忠臣蔵」には、「亡君の仇を討つ」という大義名分があるわけで、これが江戸庶民の絶賛を浴びた根拠となっているのでしょうし、また、長年にわたり国民的時代劇として親しまれてきた理由とも言えるでしょう(*ちなみに、持論でいうなら浅野と吉良の“喧嘩両成敗”以前に、“殿中での抜刀はご法度”という大前提において、「刃傷事件をおこしたのは浅野内匠頭に他ならない」というのが体系的な見方ですから、時の将軍・綱吉の判断は穏当ではないにせよ、概ね妥当、であると考えています)。

 さて、ちょっと話が横道にそれてしまいました。

 だからこそ、新左衛門は宿場の一つを周到に設えてまで「幕府に知られぬように」処理しようとしたのですが、如何せん敵方の明石藩には、互いを最大限に評価しあう鬼頭半兵衛(演・内田良平)という、いわば軍神がいた。

「こりゃいかん。人知れず斉韶を消すなどと、こいつがおってはなるようにはならん」

 とばかり、新左衛門は総力戦を決意します。
 だって、相手は「鉄砲玉」じゃなくて軍神なんですから、明石藩を相手のガチンコ勝負=戦争にならざるを得ない。しかし、表立っての明石藩と幕府との“戦争”とするわけにはいかない。下された指令は、あくまでも“暗殺”なわけですから。

「さて、困った」

 何故なら、ことが戦争となると、それは行ったことの大義名分、それを公表することを前提とした演出と情報操作が必要になってくる。それが政治の役割です。しかし前提が暗殺であるなら、あくまでも人知れず“戦争(抗争)”しなけりゃならん。
 参勤交代を終えた明石藩の帰路にべったりと張り付き、街道宿場を急襲しようとするも、その計略を鬼頭半兵衛によってことごとくかわされていた新左衛門――いかな活路を見いだすか。

「こりゃあ抗争じゃけん、仁義などもとよりありゃあせん。おはんら、残らずタマァ散らせてつかァさい」

 と、新左衛門が言ったかどうかは知りませんが(笑)、ともかく、事態は双方玉砕戦の様相を呈してくる。
 ここからが、映画の最大の見所である、

 約30分に及ぶ、13人対53騎の殺陣シーン

 という無軌道っぷりに突入するわけです。

 さあ、ここからは怒涛の展開。なにしろ 13人対53騎 ですよ。
 単純計算でも味方が敵勢を、それぞれ四人程度は斬らなけりゃならないわけで、当然、味方も返り討ちにあうリスクはあるわけで。
 とはいっても、映像的には敵方は要所々々に適宜おりまして、 なんとなく増殖 しているんですわ、これが(笑)。孤軍奮闘する剣人・平山九十郎などは、刃毀れもしくは折れる前提の刀を複数本、あちこちに仕込んでまで斬っては下がり斬っては下がりのヒット&アウェイを繰り返すわけですが、 なんとなく増殖 している敵方は斬っても斬っても減らない。

 とにかく、この剣戟シーンの迫力というのは、良くも悪くも「戦争ごっこ的」という特殊性を持っているわけですが、このあたりのニュアンスは否定的な意味で言っているのではなく、一見しなければ言葉で伝えられるものではない。
 少なくとも、役者が必死すぎて、

 打たれた刀が空高く弾け飛ぶ

 という偶発的な演出は、この作品で初めて見ました。

 敵であろうと味方であろうと、全員必死。とにかく必死。大の大人が命がけで戦争ごっこをしているという、その瞬間々々を切り抜いたドキュメント映像といっていいくらいの、剥き出しの人間活劇。こんな時代劇、他にないぞ。

 剣劇好きの感性で言うならば、アラカン(嵐寛寿郎)の綺麗な弧を描く殺陣(たて)の円熟に見どころはある。本身を振ってる筋金入りのチャンバラ役者ともなれば、こういう殺陣ができるのです。これが感触としてわからん奴は、剣劇にロマンを感じられないに違いない。
 チャンバラは男の浪漫に他ならないのであります。

 同時に、

 千恵蔵のダンディズムに酔え。

 そこをクリアできれば、大団円な時代活劇でございます。はい。

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