先の三連休を利用して、ちょっとした観光に出向いたのでそのことでも。
ルートは車でまず栃木県は日光入り、初日は東照宮および日光山輪王寺を参拝いたしまして、その夜の内に車で仮眠をとりながら福島入り、会津若松で例によって名所旧蹟を見てまわったという感じ。
長くなりそうなので記事を分けて、まずは日光での観光記をば。
日光東照宮といえば1999年に世界遺産に登録されたことでも有名ですが、実際のところは東照宮のみが遺産登録されているというわけではなく、東照宮、二荒山(ふたらさん)神社を擁する広大な境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、同じく「日光の社寺」として、総計103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の建造物と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が世界遺産に登録されているのだそうです。
今回足を向けたのは初めてだったんですが、とにかく山全体が一大寺社テーマパークといった趣で、とても一日ですべてを見て回れるものじゃありません。といって東照宮、二荒山(ふたらさん)神社、輪王寺という、いわゆる「二社一寺」の一通りは見て回れましたが、華厳の滝や中禅寺方面には行けていないし、また折を見て参拝したいと考えています。
で、まずは日光山輪王寺ですが、寺務所で購入した『日光大観』によると、凡そ千二百年前は奈良朝の昔、天平神護二年(766)勝道上人の御開基とのことです。宗派は天台宗ですね。二荒山神社と同じく創建は東照宮よりもはるかに古いのですが、今でいう「二社一寺」と称する近世以前には、全てひっくるめて「日光山」や「日光三社権現」と呼ばれて神仏習合の信仰が行われていたとか(*参考:wikipedia)。
いいっすねえ、こういうおおらかな信仰の形態。明治にいたり神仏分離令が発令される以前のほうが、人間カリカリせずに済んでいたのかもね(笑)。
ともかくも駐車場の関係で西参道から迂回して輪王寺黒門をくぐり入山したわけなんですが、後から思えば神橋(しんきょう)のある東参道から黒門をくぐるルートを辿ったほうがよかったのかもしれない。ちなみに神橋とは御開基の際に、大谷川(だいやがわ)の激流に行く手を阻まれた勝道上人と弟子一行の前へ、“首から髑髏をさげた”パンキッシュな深沙大王(じんじゃだいおう)が現れ、これまた二匹の大蛇で橋を架けるというヘビーな技で上人を救ったという、伝説の残る場所に架かる橋です。
深沙大王、カッケー(笑)
さて、受付所で拝観料を払い、日光三社権現の本地仏を納める三仏堂に入ったわけですが、その三仏。いやもう、デカイ!スゴイ!金ピカ!の三拍子。堂内保存修理期間中だったのが返す返すも残念ですが、一見の価値ありですよ。ちなみに三仏堂御本尊とは、阿弥陀如来、千手観世音菩薩、馬頭観世音菩薩、の三尊坐像のこと。
それぞれに、
男体山=新宮権現=大己貴命(おおなむちのみこと)=千手観音
女峰山=滝尾(たきのお)権現=田心姫命(たごりひめのみこと)=阿弥陀如来
太郎山=本宮権現=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)=馬頭観音
と、対応をなしています。
にしても、外人。撮影禁止って書いてあるやん。思いっきり三脚据えて撮る気まんまんでやんの(笑)。
それから大護摩堂を経由して、二荒山神社をお参りするというルート。で、この二荒山という山号ですが、ここから日光という地名の由来が来ているそうです。というのも、「二荒(フタラ)」を音読すればニコウであり、それを弘法大師 空海が「日光」の文字に改めたと伝えられているからだそう。また、二荒山とは男体山(なんたいさん)のことを指しており、この二荒山に観世音菩薩が住まわれているという意味で、観音様のご住所である補蛇洛(ふだらく)山の名をここに移したとも。
なるほど、そこから男体山=千手観世音菩薩という対応がでてくるわけですな。
この二荒山神社には、怪奇伝説を今に伝える「化け燈籠」や、『日光大観』によれば日光山中で最古の建造物である社殿を擁するなど見どころも多いのですが、家光廟である輪王寺大猷院(たいゆういん)へ至る通り道のように受け取られてしまいがちなのが残念なところ。でも、神苑には大黒さん祀ってあったり、輪投げが楽しめたりするんだぞ。しかも人手不足で、社務所で各社の御朱印が一括に頂けるんだ。
ちなみに、二荒山神社の御祭神と御神徳は、
主神=大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命(だいこく様)→家内安全・商売繁盛・良縁守護・産業開発・温泉・醸造・医薬・婚姻の祖神
妃神=田心姫命(たごりひめのみこと)→子授け・安産・子育て
御子神=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)→農業・漁業・交通の守護
と、一色刷りの、ぺらパンフレットにあります。
なるほど、先の日光三社権現の三仏と神仏相対しているわけですな。二荒山大神に現在の神が当てられたのは12世紀頃だと言われるているそうですが、要するに本地垂迹説によりそれぞれの神に仏が当てられ、現在でも輪王寺ではこれらの仏を祀っている、というのが解明のようです。
それはさておき、
大黒さまスゲー!!御神徳が「温泉・醸造」ってなんなんだ?
まあ冗談はともかく、女子高生と付き合えますようにと、しっかりお願いしておきました。もちろん嘘です(笑)。
さて……、次は沖雅也も演じた三代将軍・家光の廟所である「大猷院」なのですが、さすがに大権現家康ほどの財力の傾注はなかったのか、東照宮と比べれば小ぶりな意匠ですが、かといって見劣りするのかといえば決してそうではない。細部に至る緻密な装飾は、絢爛豪華で見どころたっぷり。なるほど、二荒山神社のことなどすっ飛んでしまいそうな勢いです(笑)。
大猷院の意匠に見惚れていたおかげで、肝心の東照宮についたころには日が傾き始めていましたが、どうにかこうにか。
すっかり長くなりましたが、続きは写真なども添えつつ後日ということで。
おまけ。
日光東照宮HP*要PC
日光二荒山神社HP*要PC
同・二荒山神社*携帯版HP
日光山輪王寺HP*要PC
同・輪王寺*携帯版HP
ルートは車でまず栃木県は日光入り、初日は東照宮および日光山輪王寺を参拝いたしまして、その夜の内に車で仮眠をとりながら福島入り、会津若松で例によって名所旧蹟を見てまわったという感じ。
長くなりそうなので記事を分けて、まずは日光での観光記をば。
日光東照宮といえば1999年に世界遺産に登録されたことでも有名ですが、実際のところは東照宮のみが遺産登録されているというわけではなく、東照宮、二荒山(ふたらさん)神社を擁する広大な境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、同じく「日光の社寺」として、総計103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の建造物と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が世界遺産に登録されているのだそうです。
今回足を向けたのは初めてだったんですが、とにかく山全体が一大寺社テーマパークといった趣で、とても一日ですべてを見て回れるものじゃありません。といって東照宮、二荒山(ふたらさん)神社、輪王寺という、いわゆる「二社一寺」の一通りは見て回れましたが、華厳の滝や中禅寺方面には行けていないし、また折を見て参拝したいと考えています。
で、まずは日光山輪王寺ですが、寺務所で購入した『日光大観』によると、凡そ千二百年前は奈良朝の昔、天平神護二年(766)勝道上人の御開基とのことです。宗派は天台宗ですね。二荒山神社と同じく創建は東照宮よりもはるかに古いのですが、今でいう「二社一寺」と称する近世以前には、全てひっくるめて「日光山」や「日光三社権現」と呼ばれて神仏習合の信仰が行われていたとか(*参考:wikipedia)。
いいっすねえ、こういうおおらかな信仰の形態。明治にいたり神仏分離令が発令される以前のほうが、人間カリカリせずに済んでいたのかもね(笑)。
ともかくも駐車場の関係で西参道から迂回して輪王寺黒門をくぐり入山したわけなんですが、後から思えば神橋(しんきょう)のある東参道から黒門をくぐるルートを辿ったほうがよかったのかもしれない。ちなみに神橋とは御開基の際に、大谷川(だいやがわ)の激流に行く手を阻まれた勝道上人と弟子一行の前へ、“首から髑髏をさげた”パンキッシュな深沙大王(じんじゃだいおう)が現れ、これまた二匹の大蛇で橋を架けるというヘビーな技で上人を救ったという、伝説の残る場所に架かる橋です。
深沙大王、カッケー(笑)
さて、受付所で拝観料を払い、日光三社権現の本地仏を納める三仏堂に入ったわけですが、その三仏。いやもう、デカイ!スゴイ!金ピカ!の三拍子。堂内保存修理期間中だったのが返す返すも残念ですが、一見の価値ありですよ。ちなみに三仏堂御本尊とは、阿弥陀如来、千手観世音菩薩、馬頭観世音菩薩、の三尊坐像のこと。
それぞれに、
男体山=新宮権現=大己貴命(おおなむちのみこと)=千手観音
女峰山=滝尾(たきのお)権現=田心姫命(たごりひめのみこと)=阿弥陀如来
太郎山=本宮権現=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)=馬頭観音
と、対応をなしています。
にしても、外人。撮影禁止って書いてあるやん。思いっきり三脚据えて撮る気まんまんでやんの(笑)。
それから大護摩堂を経由して、二荒山神社をお参りするというルート。で、この二荒山という山号ですが、ここから日光という地名の由来が来ているそうです。というのも、「二荒(フタラ)」を音読すればニコウであり、それを弘法大師 空海が「日光」の文字に改めたと伝えられているからだそう。また、二荒山とは男体山(なんたいさん)のことを指しており、この二荒山に観世音菩薩が住まわれているという意味で、観音様のご住所である補蛇洛(ふだらく)山の名をここに移したとも。
なるほど、そこから男体山=千手観世音菩薩という対応がでてくるわけですな。
この二荒山神社には、怪奇伝説を今に伝える「化け燈籠」や、『日光大観』によれば日光山中で最古の建造物である社殿を擁するなど見どころも多いのですが、家光廟である輪王寺大猷院(たいゆういん)へ至る通り道のように受け取られてしまいがちなのが残念なところ。でも、神苑には大黒さん祀ってあったり、輪投げが楽しめたりするんだぞ。しかも人手不足で、社務所で各社の御朱印が一括に頂けるんだ。
ちなみに、二荒山神社の御祭神と御神徳は、
主神=大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命(だいこく様)→家内安全・商売繁盛・良縁守護・産業開発・温泉・醸造・医薬・婚姻の祖神
妃神=田心姫命(たごりひめのみこと)→子授け・安産・子育て
御子神=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)→農業・漁業・交通の守護
と、一色刷りの、ぺらパンフレットにあります。
なるほど、先の日光三社権現の三仏と神仏相対しているわけですな。二荒山大神に現在の神が当てられたのは12世紀頃だと言われるているそうですが、要するに本地垂迹説によりそれぞれの神に仏が当てられ、現在でも輪王寺ではこれらの仏を祀っている、というのが解明のようです。
それはさておき、
大黒さまスゲー!!御神徳が「温泉・醸造」ってなんなんだ?
まあ冗談はともかく、女子高生と付き合えますようにと、しっかりお願いしておきました。もちろん嘘です(笑)。
さて……、次は沖雅也も演じた三代将軍・家光の廟所である「大猷院」なのですが、さすがに大権現家康ほどの財力の傾注はなかったのか、東照宮と比べれば小ぶりな意匠ですが、かといって見劣りするのかといえば決してそうではない。細部に至る緻密な装飾は、絢爛豪華で見どころたっぷり。なるほど、二荒山神社のことなどすっ飛んでしまいそうな勢いです(笑)。
大猷院の意匠に見惚れていたおかげで、肝心の東照宮についたころには日が傾き始めていましたが、どうにかこうにか。
すっかり長くなりましたが、続きは写真なども添えつつ後日ということで。
おまけ。
日光東照宮HP*要PC
日光二荒山神社HP*要PC
同・二荒山神社*携帯版HP
日光山輪王寺HP*要PC
同・輪王寺*携帯版HP
しかも何故か家光。
また、中禅寺湖と言えば、ゴジラがキングコングと戦って、熱線で緒戦を飾った地ですぜぇ!。
ただ、下野にある日光に家康が祀られたには、こういう意味があるとも思ってます。
この下野の小山で東軍諸将をたらしこんで、一気に引き返して石田三成破って、天下を取りましたからね。
もちろん関八州鎮護には全く素晴らしい地なんですが、縁起が良いのもあります。
ねえ、家光って柳生十兵衛に殺されたんじゃなかったっけ?(笑)「柳生一族の陰謀(映画版)」
あの時のムンクの叫びのような萬屋但馬守のびっくり仰天ぶりは面白かった。
あんな狼狽した錦ちゃんは初めて見ました。